2021.05.27

広報しろたまり その16 しろたまり海をわたる2

日系人のMさん、当時、複数中小企業のアメリカ進出コンサルみたいな仕事をしていたようです。あれは2002年だったかな、LAの市場調査ツアーみたいなのがMさん主催で行われ、参加者同士としてふたりの納豆屋さんと知り合いました。大力納豆の坂詰仁さん、矢口納豆の高橋俊一さんとの運命的出会い!笑 おふたりには今もお付き合いいただいています。

じつはこのMさん、最初はいいことばかり話しますが、お金がらみで行き違いが多く、みなさん離れていきました。私は都合4年間彼と付き合いましたが、最終的にはやはり金銭問題で縁を切ることになります。恐らく、日本人とはまったく異なるアメリカ人としての彼の考え方に我々がついていけなかったのかもしれません。その意味で彼との4年間は貴重な経験だったと思っています。基本的にお金の国ですから。

話を戻して、小ロットで安価にアメリカへ輸出する物流をどうするか。今でこそ様々な方法があると思いますが、当時はそんな都合のいいサービスはなく、裏ワザ的にお付き合いのある日系商社さんのコンテナに潜り込ませてもらう方法を考えます。

A商社さんのLA支社、ホノルル支社、NY支社と渡り歩き、同行営業して日系スーパーさんを中心に置いてもらえるお店をつくることで、A商社さんのコンテナに商品をのせられるベースをつくります。で、その荷物と一緒に独自の販売分商品も混載をお願いしちゃう!

私の主な目的は非日系のレストランやスーパーさんで、その営業をMさんと一緒にしていきます。Mさんの自宅に現地法人を置き銀行口座を開設、彼の自宅が商品倉庫を兼ね、商社さんのコンテナで運んだ商品をストックします。
年に2~3回、一度行くと2週間程度の滞在で、Mさんが事前に収集した情報に基づき営業、レストラン、小売店、食品工場などなど。

展示会にも出店、はじめてはアナハイムのナチュナルフードエキスポだったか、それからLA、SF、NYにシカゴとアトランタと出展。私の仕事は試食を用意してブース前に立ち、適当にいい加減な日本英語で案内、何か聞かれたらMさんにバトンタッチするだけですが、反応がストレートだから分かりやすくてなかなか面白かったです。

当初の計画で、3年間の事業に用意した資金が3千万円、ちょうど年間1千万円の活動資金でスタート、あっという間に3年がたちます。結果、3年目の年間売上高は3百万円でした。
営業していると、可能性をもの凄く感じます。現地レストランのシェフも、食品加工工場の開発担当者も、キッコマンは知っていても白醤油やしろたまりなんて誰も知らない。こんな醤油があるのか!これは面白い!の声をいっぱい聞きます。
でもすぐに数字にはならない。そんなに簡単にはいかない。

このやり方では、弊社の体力では黒字化まで続かないことが分かり、4年目は大幅に活動費を縮小、事業整理に入ります。3年間でできたお客さまとのビジネスをどう継続させるかの調整です。日系商社さんが引き継いでくださった部分と、Mさんが引き継ぐ部分に分けました。Mさんとの契約は解除し、弊社は現金入金後の出荷で日本の港渡しで販売するのみ、あとはすべて彼の責任です。

3年目だったか、日本の食品加工メーカーで、日本本社とはお取引があった会社のアメリカ工場と、加工原料用に白醤油を供給する話がまとまります。価格と物量的な理由で白醤油ですが、18L缶で約900缶、20フィートコンテナ単位で動く仕事です。多い年には3~4本コンテナで送り、これはいいなと思ったら、その後急激な円高に見舞われ消滅、うまい話は続かないと絵にかいたようなことでした。笑

それから数年間、ほぼノータッチで過ごします。商社さんやMさんから発注が入れば商品を送るだけ。

そんな私のところへ、2011年だったかな、岡崎の丸石醸造さんの深田さんという青年が訪ねていらっしゃいます。
愛知県食品輸出研究会を立ち上げるので一緒にやりませんかと。

つづきはまた次回に。