広報しろたまり その15 しろたまり海をわたる
(NYCのど真ん中で仲間とイベントをした思い出)
日本の醤油はかなり古くから世界に紹介されていたようですが、本格的には戦後、キッコーマンさんの努力によって主にアメリカ市場を開拓したところから始まったみたいです。
他のアジア諸国の醤油に比べれば日本産はまだマシだと思いますが、とうぜん醤油独特の香りがあり、当初はアメリカでもバグソース(虫の臭いのソース)と呼ばれたらしい。
それを、チキンをBBQするときに使うソース用に甘味をつけて照り焼きソースと名付け、日系人さんたちにお願いしてデモンストレーションを展開、焼いた香ばしさと醤油の美味しさを伝えていったとか。
そのキッコーマンさんは今や世界中で現地生産していて、Soysauceなどと言わなくてもキッコマンで通じますし、他の大手メーカーさんの醤油も数多く流通し、最近では中小メーカーのこだわり醬油も一部のお店には置かれています。
弊社では、ごくわずかですが海外の日本料理店向けに、一升瓶の白醤油を問屋さん経由で送っていました。
そんなところへ2001年、しろたまりを輸出したいとの引き合いを日本のあるメーカーさんからいただきます。
アメリカ向け、300ml瓶で1パレット1,500本単位、ただしPBラベル。すぐに年間複数回受注が入るようになり、びっくり。
私は愚かにも、そのメーカーの専務さんに、どこでどうやって売っているのか教えてほしいと聞きました。断られました。笑
彼が時間とお金と労力をかけて開拓した仕事を、いきなり教えろなどと無神経にもほどがある。そんな当たり前に気付いて、自分で調べ考えようと、まぁボンクラだから仕方ない。
その当時大手さんは別として、中小メーカーの輸出はほとんど日系商社経由で、そのあたりに問い合わせても、白醤油(しろたまりなんて誰も知らないから)の輸出なんて、日本料理店向けにわずかに動く程度でまったく興味がないらしく、話を聞く気もない感じでした。前出の専務さんはアメリカの販売会社へ直接売っています。ここがひとつポイントかも。
公的な輸出促進機関などにも問い合わせましたが、当然ですが私の知りたい答えを直接教えてくれるわけではなく、別件で海の精の村上社長と呑んでいるときに、海の精の輸出計画のお話を聞かせてもらいました。これがまたポイントに。
縁があり日系アメリカ人のMさんと知り合います。LA郊外に住みアメリカ生まれアメリカ育ち、メキシコ人の風貌をしててコーネル大卒だって。
日系商社さんのお力も借りながらですが、現地法人を置きMさんと独自の営業をするプランを立てます。一晩で事業計画書を書いて銀行へ行き資金調達、そのお金で2003年から3年間の活動を始めました。
空港の入国審査で、想定外の質問が聞き取れず、係官が諦めてネクスト!というまでニコニコ笑ってるようなオヤジが、いったいアメリカで何をするつもりだったのか。
ずいぶん時間がたったので記憶も曖昧ですが、覚えてることを少しづつ書いてみます。
長くなりそうですが、お時間があったらお付き合いくださいませ。