2021.07.07

広報しろたまり その21 なぜ足助だったのか

      
黒怒の佐野正則さん 元助役の小澤庄一さん 大多賀の安藤祥一さん 中央が川添一輝塾長その右が河合茂男さん

以前にも書いたように、仕込に使う美味しい水を求めて足助にたどり着き、自然環境の良さに魅かれて蔵を置かせてもらうことになるわけですが、それはこの方々との出会いがなければ、恐らく起きなかったことです。

最初のきっかけは、自然食品問屋(株)黒怒・当時社長・佐野正則さんでした。パーマカルチャーの勉強会を足助でするので来なさい、と誘っていただいたところからはじまります。
佐野さんには、しろたまりの開発段階からアドバイスをいただき、販売関係では一方ならぬお世話になりましたし、何も知らない私に自然食にとどまらず環境問題からあらゆる勉強の機会を与えてくださいました。この会へのお誘いもそのひとつです。

この会場で出会ったのが、当時足助町助役だった小澤庄一さんです。2002年第1回観光のカリスマ100選にも選ばれた足助観光の中心人物で、佐野さんとも旧知の方でした。これはいい人と知り合ったと、後日役場にお邪魔して水の相談にのっていただきます。ここは自然の豊かなところですから、仕込に使えるいい水はないですかねぇと尋ねると、なぜか興味を持ってくださり、日を改めて足助山中を一緒にドライブすることになります。

山道を走り回って点在する五六件ほどの建物を見せられたのですが、どうやらみな小澤さんが閉校にした分校の校舎のようで、廃校舎回りのついでにそこの井戸水を飲むようなあんばいに?と思いながらも言われるままに走り回り、最後にたどり着いたのが、足助町最北東部にある大多賀地区の旧大多賀小学校でした。ここの井戸水は美味しかった!

大多賀地区についていろいろうかがうと、標高が720メートルあり真夏も随分と涼しそうで、これなら色も薄く出来るし、井戸水は本当に柔らかくて美味しく、私は峠を下ったところにある箱庭のようなこの集落の風景に、訪れるたびにどんどん惹きこまれていきます。

経営者としてのイロハを教わった一倉定先生が亡くなられてからなにかと相談にのっていただいていた川添一輝塾長が、ちょうどこのとき屋久島で経営者フォーラムを開催、会場ホテルの大浴場に並んでつかりながら足助の構想を話すと、ビックリするような大声で、それだ! と言われ背中を押されます。

小澤助役に、水だけじゃなくて仕込自体を大多賀でやらせてください、ここに仕込蔵を置きたいんです、井戸と校舎と全部貸してください!と頼みますと、ニヤッと笑って了解してくださいました。どうやら助役は当初から廃校舎の引受先として私を見ていたようで、大きな掌の上で転がされた感がありますが笑、実現に向かって歩き出すことになります。

さて、ここからが少し時間がかかりました。このような山奥の分校の校舎は、造るときに建設費の一部を地域住民の皆さんが負担されるそうで、住民の了解無しには貸すことは出来ない、おまえ現地へ行って説明し了解してもらって来い!となります。
たしか寒い季節でした、夜、学校の講堂のようなところで地区の集会があり、役場の産業課長さんに同行していただき20数名の住民の皆さんにご挨拶、この校舎に仕込桶を置かせてもらって、美味しい井戸水で醤油の仕込をさせてください、皆さんの思い出のこの校舎を貸してください、とお願いします。反応はほとんどありませんでした。

皆さんにしてみれば、片道2時間もかけて醤油の仕込に通うなんて、どうも怪しい。よそ者がいきなりこんな話を持ってきて何か別に魂胆でもあるんじゃないか?と思われたようでした。なんども通って繰り返し説明しますが、テスト仕込用の小型タンクを置くことは許していただけても、そこから話が進みません。1年がたっていきました。

どうしたら信じてもらえるのか、助役と相談して役場のマイクロバスをお借りして、住民の皆さんを碧南本社工場へご案内することにします。すでに碧南でしろたまりは造られていましたので、現場を見てもらおうとしたのです。この工程を皆さんの学校をお借りして移したいんです、きっとおいしい醤油になりますよ。
このときの、大多賀の安藤祥一さんのひとことで、1年止まっていた時が動き出します。
「このひとは本気だわ」

足助保健所の鈴木さんという担当の方と、井戸水を仕込に使う件の交渉も並行して進めていて、半年に1回自主的に足助保健所で水質検査を受けることで許可も得られていきます。

正式に足助町と賃貸契約を結ぶことができ、校舎を蔵に改造する工事に入ります。これからここでお世話になるのだから地元の業者さんに頼みたいと助役にお願いし、紹介していただいたのが河合木材店の河合茂男さんです。改造は2階建て校舎の1階のみ、搬入口新設、床板撤去、教室の壁もほぼ撤去、天井修理等、足助保健所の指導も受けながら進めました。

河合さんが、社長、あんたこれからここの水で醤油仕込むなら、水神様をお祭りせなあかんわ。わしがいい石を見つけて石屋に掘らせるで、水神の字を書いて持っておいでん。
毛筆なんて子供のころ以来持ったことがなく、子供の習字の先生にお手本を書いてもらって丸写しのように書いたことが、今も楽しい思い出になっています。

大多賀の皆さんには、本当に良くして頂いています。
最初の年に、住民の皆さんと人間関係をつくるきっかけにしようと交流会を企画、我々社員一同が校庭で火を起こしてBBQ、缶ビールなど持ち込んでゆっくりお話しする機会をつくりました。皆さん実はとても親切な方々で、作業に行く社員たちはいつも何かとお世話になり、私もご自宅まで上げていただいてお世話をおかけしたことが一度や二度ではありません。

途中から交流会は規模を拡大、仕込蔵隣の畑をお借りして小麦の実験栽培もしながら、しろたまりの流通などでお世話になっているお客さまや消費者の皆さんにもお声がけし、300名以上の人が山里に集うイベントになっていきました。

まだ書きたいことは色々ありますが、紙面はとっくに尽きているようですので、また改めてにいたします。長文で失礼いたしました。